協会沿革
協会設立は、昭和33年10月。「青森県精神病院協会」として設立。設立時の会員施設は10施設(879床)
青森市民病院小浜分院、浅虫療養院、弘前大学医学部付属病院、斎藤内科医院
県立中央病院八重田病棟、弘前精神病院、十和田精神病院、健生病院大清水分院
県立八戸病院、浪岡町国民保険病院
昭和30年初頭の本県では、浅虫の故石田正三先生、弘前の故津川武一らの地道な努力があったものの精神科医療施設はあまりにも乏しかった。
昭和31年、故和田豊治教授が弘前大学に赴任した。和田教授は「てんかん」を教室の研究テーマと掲げ、精力的に研究を推進したが、併せて、青森県の地域精神医療の体制作りにも尽力した。本協会設立もこのような流れの中に位置づけられる。
その後、国の保険医療政策や社会情勢の変化に伴って、精神病床数は増加し、最も多かった昭和63年には5,000床を超えるに至った。その後、入院中心の精神医療の見直しの気運が高まり、「地域社会の中での治療と支援」へと精神医療は転換、発展している。それに伴い、精神科病院は急性期病棟、療養病棟、認知症治療病棟などの機能分化、デイケア・ナイトケアの整備、訪問看護の推進など治療・サービスの幅が拡大し、一方、入院病床を持たない精神科クリニックも県内各地に設置されている。
平成18年に名称を「青森県精神科病院・診療所協会」とする。
令和元年9月24日 一般社団法人青森県精神科病院・診療所協会となる。
現在の会員施設は43施設、病床数は4,129床。
協会会員施設は関連する福祉機関、行政機関との連携・協力により精神保健・医療・福祉のサービス展開において重要な役割を担っている。精神医療に対する社会的ニーズは、高齢者介護、障害福祉、教育、司法、産業保健、自殺対策、地域保健など多方面、多岐にわたる。”病院から地域”というスローガンは利用者の退院促進という限定的活動にとどまらず、各機関の職員が自らの専門性を地域の中で生かし、貢献するという活動を含むものと考える。